薄情もの



彼は儚げだった。

細い首筋は白くなめらかで、鼻筋はきれいに通っていて、媚びずに相手を見返す目元は、そこらで売られているちゃらついた人形よりもずっと、涼しかった。



私たちは公園のベンチに座っていた。
公園は長らく手入れをされておらず、そこかしこに雑草が蔓延っていた。
細い筆で描いたような早緑の草をふみつけながら、私たちはベンチに辿り着いたのだ。
それは小さな冒険めいていた。
義務的な冒険。



私は彼の涼しげな横顔を眺めているのが好きだった。
声変わりをしはじめた同級生の男子の、含みのある視線を意識しなければならない時間は、地獄だった。
だから彼が、女の子みたいに恥らってまぶたをそっとふせる様子や、考えを必死にまとめようとしながら、つやのある唇をほんの少しだけ歪ませるしぐさが、清潔で淀みのないものに思えた。

女の子はきれいな男の子が好きだ。
男の子がきれいな女の子を好きなように。



空は薄情な色をしている。
まさにペンキをぶちまけたような青だった。
私たちが罪を犯しても、何事もなかったというふうに知らん顔を決め込むに違いない、薄情な色。

私たちは罪を犯したとき、空に責任を負わせることはできない。
山の中で木の実を求め走り回っているであろう栗鼠にも、遠い遠いサバンナで何かの葉っぱを食んでいるであろう象にも。
それどころか同じ人類である誰にさえも。
もちろん空も薄情な色をしながらそこに在るだけのものだ。

私はそんなことを考えながら彼の横顔を眺めていた。
彼の長いまつげが小さく震えていた。
耳元を虫が飛んだのか、細い腕が持ち上がり、私の頭と彼の頭の間にある空気をかいた。
そして私たちはもとからあった沈黙に溺れていくのだった。



沈黙の波間から浮かび上がった彼は、同年代の人間が嫌いだと言った。
目覚めたばかりの性欲をむき出しにして歩く彼らがとても我慢できないと。
女子は花が蜜を出すように食事をするときですらフェロモンを漂わせ、男子はたえず女子の蜜に群がっていた。
彼は目の色を変えて異性にむしゃぶりつく人々を浅ましいと表現し、実にうんざりした表情でうなだれた。

私はいいのかと質問すると彼はわずかに笑みを浮かべ、私が人間である気がしないという意味の答えを言った。
私は不快に感じたわけではなかったが黙った。
彼は私の機嫌などどうでもいいのだろう、うなだれたままベンチの木目をきゃしゃな指でなぞった。

私たちが異性に貪欲なのはどうしようもないことだと思う。
そうでなくては人類は破滅してしまうのだから。
人類として正しく餓え、正しく生殖し子孫を繋いでゆくのは、生きている私たちの責任なのである。

それはとても罪深いことのように思える。
なぜだろう。



かすかに風が吹いた。

私たちは迷走している。
日常という平坦な迷路を。
将来果たすであろう人類としての責任を、ゴールとして。

彼の白い喉は血管を透かす。
青白く何かの虫に見えるそれは脈打ちながら、彼をゴールへと急きたててゆく。
彼は抵抗しているのだ。
目的地にきざまれた文字を、別のものに変えようとして。



自分は間違っているかもしれない、と彼は言った。
自分が向かおうとしている場所がよい方向なのかも、分からないし。

土の匂いがする。
乾いた砂が風に舞い上がり、空気中で細かい粒となる。
きっと彼のつややかな髪の間には、たくさんの粒がひっかかっている。
私の髪にも。

彼の声帯がしぼられ、甘く愛しい声が発される。

ぼくもいずれ誰かを好きになるのかな。



それはとても罪深いことのように思える。
彼が、普通の男子のように恋をするということは。



彼は皮肉に笑って、膝の上で軽く握っていた両手をぱっと離した。
汚らわしいものから手を離すしぐさと似ていた。
それから、もしそうなるんだとしたらぼくは死んでしまおうかな、と言った。

その瞬間、私には彼が、ますます完璧で手の届かないものに思え、無性に手にいれたくなった。
彼の横顔に焼けるような嫉妬を覚えていた。
彼になりたいと強く思った。
私も、清潔で淀みのない場所へ行きたい。
彼が立っているスタート地点に立ちたい。

彼はじっと空の向こうを見ていた。
ふいに私の瞳に焦点をあわせると、甘い香りがする、と呟いた。

死なないで、と私は言った。
その時私は確かに、自分から立ち上る香りを嗅いだ。
蜜の匂いだ、と思った。



私の罪はもうはじまっているのかもしれない。

私は空を見た。
空は薄情な色をしている。
私の彼への憧れなど、変わりにおってくれそうもないほど、薄情な色だ。




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