月がたずねてきた。

「初めまして。月というものです」
月はふくよかな光をうかべ頭をさげた。
優雅なおじぎだった。
「ええ。前から知っていました。いつも見ていましたよ」
ぼくは月と握手をかわし月の写真集をもってきて見せた。
「ほら、写真だって持っているんです。コレクションしているぐらいですから」
「いや、恥ずかしい。これ、わたし、半目だわ。きゃあ」
月はひどくあわててかわいらしく両手で顔をおおった。
ぼくは写真を見たけれど顔のようなものはどこにもなかった。
目の前の月だって同じことだ。
「あの。月にも顔ってあるんですか」
「ありますとも。でなければわたし今どうやってしゃべっているんだと思いますの」
それはそうだ。ぼくはあやまった。



こたつにもぐりながら二人でわきあいあいと話をしていたがしばらくすると月はぼくの顔をまじまじと眺め回して言った。
「あなた、すこし運動不足ね」
「はあ。そうですかね」
「毎晩ビールばかり飲んでいるくせにちっとも歩いてやしないんでしょう」
ぼくはうつむいて顔を赤らめた。
そのとおりだったからだ。
月はきびしい声色で運動がもたらす身体的な効果なるものを延々としゃべりつづけたが、ぼくの耳はその話を右から左へと処理してしまった。

いい加減うんざりしてきたので話をきりあげるついでにお茶の準備をしにいった。
廊下に出るとどうしてかまた廊下がながくながくなっているのだった。
ながくながくどころではなくながくながくながくながくながくながくなっているのだった。
ぼくはおどろいて戻ろうとしたが後ろでふすまがピシャンと閉まった。
ひっぱってみたがびくともしなかった。
しようがないので果てが見えない廊下を歩き出した。
しばらく歩くとふすまも見えなくなった。
ぼくはけっきょくうんざりしながらぶつぶつ言った。
これは月のしわざにちがいない。



それから何日経ったことかぼくの足はとうにつかいものにならなくなり胃は食べ物をもとめたえまなくぐうぐうと鳴っていた。
ぼくの怒りは最高潮に達していた。
月のやつめ、自分勝手な理論をならべたてやがって、ぼくのためとはいえ度がすぎる!

ようやく出口が見えてきた。
全力で走り扉を頭からつっこんでやぶった。
そしてのうのうとこたつにあたっている月に包丁をふりかざし叫んだ。

「お前なんか空にぶらさがっていればいいんだ! 二度とぼくのところに顔をだすな!」

包丁をふりおろすと月のはしっこがかけて月はすさまじい悲鳴をあげた。
ぼくは月をきざみつづけた。
きざみすぎたので我に返ったころには月はキャベツのようにみじんぎりになっていた。

ぼくはそれにしょう油をつけて食べた。
とろけるような味がした。




戻る