三日月



肩で息をしているお兄ちゃんは、鉄パイプをからんと落として、ミミの、ぐちゃぐちゃになった毛皮をひっつかみ、さらに、壁に投げつけた。
べちん。
ずるずる。
ミミの体がおちてくる。
お兄ちゃんはそれをひろいあげて、べちん、ずるずる。
もう、一回。

「ねえ。もうやめて、お兄ちゃん」
「黙ってろ」
「やめて、死んでるよ。もう、死んでるよ・・・・・」

お兄ちゃんのひとみに、ふっと、正気の色がもどってくる。



お兄ちゃんは最近いつもこうだ。
家に、たくさんの捨て猫や捨て犬をもってかえってきて、名前をつけて、飼ったばかりのころはやさしくするのに、一週間ぐらいたったら、鉄パイプでめためたになぐりつけて、殺す。

お兄ちゃんはこれを遊びだという。
おもしろいよ、真っ赤なのがでろんってでてきて(たぶん動物たちの胃袋のこと)、目から涙ぼたぼたながして、ふるえるんだよ、って、いう。
おまえもやってみるかって染みだらけの鉄パイプをさしだされたときには、ぎょうてんして、ぼくは、やらない、やらない、って必死で首をふった。
お兄ちゃんはほがらかにほほえんで、わかってるよ、じょうだんだ、って、いった・・・・・。



口をぬぐい、ふらふらと通りにむかって歩きはじめるお兄ちゃんを尻目に、ぼくはミミにかけより、抱きあげた。
うっとした。
腹から、お兄ちゃんがいってた、でろんってのが、でてる。

「ミミ」

ちいさな声でよんでみる。
でもぼくだってわかってるんだ。
ミミのちいさな心臓が、とっくにとまっちゃってるんだってことは。
がくがくする膝をかろうじてささえると、ぼくは、土のやわらかいところを探し出して、ほり、ミミをうめてやった。



お兄ちゃんがしていることは、お父さんもお母さんも知っていた。
お兄ちゃんは何度か、病院につれていかれたけれど、最後の診察の日、お医者さんはこんなふうにいったんだそうだ。

「心のやまいかもしれません。よくなるまでは、うんと優しくして、うんとかわいがってあげてください」



ぼくにしたら、ばかなんじゃないかと思う。
そうしているあいだにお兄ちゃんは、どんどんへんな道にそれてゆく。

「ヤブイシャ」

つぶやくと、お兄ちゃんはけげんそうな顔をした。
やさしそうな顔立ち。
でも、そんな顔立ちのまま平気で動物をなぶり殺しているお兄ちゃんは、こわい人だ。



お兄ちゃんは鉄パイプをジャンパーのなかにかくしたまま、どんどん、細い路地にはいりこんでゆく。
風がやけに冷たい。
上を見上げると、月がにんまりと笑っている。
さっき殺したミミの口が連想されて、ぼくは青ざめる。

「お兄ちゃん」

お兄ちゃんはこたえない。
歩くペースをあげられて、ぼくの歩調はしぜんと小走りになる。

「お兄ちゃん。こんなことはもうやめてよ。ぼく、見てられないよ。さっき、ミミだって、とても苦しそうに・・・・・」

お兄ちゃんはたちどまった。
ほとんど走っていたぼくは、前につんのめりそうになるのをあわててこらえた。

お兄ちゃんの背中はおおきかった。
それなのに、今まで何匹もの動物をなぶってきた指は、ほそかった。

指の先が赤くなっている。

ふりかえったお兄ちゃんの目をみてぞっとした。

その手が、首までのびてくる・・・・・。



苦しい。
熱のかたまりが、頭のなかでふくらみはじめたようだ。
あがく。
あがいて、おなかを蹴られて、せきこむ。

「たりない、たりない、まだたりないよ」

お兄ちゃんは何回もそんなふうにつぶやいた。
口元は不自然にゆがんで、まるで、死神が持つかまのようなかたちになっている。

「お兄ちゃん、いたい」
「あたりまえだよ。いたむようにしてるんだからね」

ぐいぐい、ほそい指に力がはいる。
その動作はとてもしなやか。
皮肉だね、お兄ちゃん、ねこみたいに見える。

何度も頭をなぐられて、じんじんする。
なにがなんだか、よくわからない。
ぬるりとしたものが眼球の上をながれてゆく。
これ、きっと、血なんだろうな。
視界がめまぐるしくかわる。
背中に衝撃がはしるたび、鼓膜のおくのほうで、ちいさな爆発音が鳴る。
ばすん。
ばすん。
ばすん。



ぼくをなぶりおわったお兄ちゃんは、ひょろりとした三日月にかさなりそうなほどやせてみえた。
ぼくは痛みと寒さでがくがくとふるえていた。
殺されかけの動物たちのように。

お兄ちゃんはやっぱり、大きかった。
畏怖のようなものが、ぼくのなかに生まれはじめているのを感じた。
涙はでなかった。



「死んだも同然だね」

お兄ちゃんはぼくを見て、いつものやさしい顔立ちで、いった。

「なにが」

「お兄ちゃんは、動物を殺すけど、お兄ちゃんこそいつでも死にかかっているんだろ。
こわいんでしょ。
本当は、こわくて、いてもたってもいられないんでしょ」

ぼくは流れつづける血を、だるい腕でぬぐった。

「でも、だめだよ。こんなやりかた、ゆるされない。
お兄ちゃん、寒いね、いたいね。ほら、くるよ・・・・・そこまで・・・・くるよ」

パトカーがとまった。
お兄ちゃんはその顔立ちのままそれを見ていた。

「そうだよ。おれはいつでも死んでるんだ。
おまえ、よくわかったな。
おまえならここでも生きていけるんだろうな」



警察がでてきて、お兄ちゃんのやせた体をひきずっていく。
ぼくは意識を失い、汚れた路地にへたりこんだ。





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