ほんとうに大切な記憶とは



写真というものはだね。
ゆっくりみてちゃあ意味がないんだよ。
ばばばばばっとめくってばばばばっとお別れしなくちゃなんない。

そりゃ、それはせっかちなやりかたかもしれないし、撮った本人からしたら、もうすこし丁寧にみてもらいたいかもしれない。
けれどぼくはけっして、一枚の写真をすみからすみまでまじまじと見たりしない。
印象的な写真だけが脳裏にこびりついてゆく。

それでいい。
それがいい。

見ていやな感じがする写真まで記憶しとく必要はない。
ほんとにずしっとくるものだけが、あるとき、なんらかの拍子でぼんとよみがえってくるのが、いい。

いやな絵柄をいちいち記憶していったら、それこそくずれっちまう。
あのいやな風に吹かれる前に。



ぼくは街中をぶらぶらあるきまわりながら、そんなことを思う。

あれからあの本屋には一度も足をはこんでいない。
ふと、じおんはどうしてるだろうと思う。



我にかえってやつの顔を鼻で笑いとばした。
いいじゃん、じおんはただの五月蝿だ。
あれ以上つきあってたらなにを詮索されるかわかんない。



なのに一歩一歩歩みだすたびに、置きざりにしたときのじおんの顔がうかんでは消える。
見ていやな感じがする写真まで記憶しとく必要はない、のに。

また一歩。
それから、ふっと空を見上げた。



ほんとにずしっとくるものだけが、あるとき、なんらかの拍子でぼんとよみがえってくるのが、いい。

それでいいならこの記憶は。



首がいたくなって、タイルと靴先をみつめた。
じおん、どうしてるだろう。




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