大いなる矛盾
(ラヴィンユー・リフレイン・ストーリー)
あるところに男と女がいました。 「愛しているわ」 「愛しているよ」 見ての通り二人は愛し合っていました。 これは男と女、そして三人の傍観者たちのお話です。 いつものように愛をささやきあったところで、男は女を押し倒そうとしました。しかし女は男の胸板に手をやって、彼をおしのけてしまいました。 「やめて」 男は不満そうに言いました。 「なぜ? きみはいつも拒否する」 断られるのは今日がはじめてではなかったのです。 それを聞いて女は不思議そうに言いました。 「愛してるんだからしなくても大丈夫でしょう?」 男も不思議そうに言いました。 「愛してるんだからしてくれてもいいだろう?」 二人は少し黙りました。 互いに、相手の言いたいことが分からなかったからです。 男の沈黙は女に疑いを抱かせました。 「・・・あなたは私を愛していないの?」 男は驚いて言いました。 「なぜ? 愛しているよ。愛しているから触れたいと思うんだ。相手を大事にするためのセックスじゃないか」 女は納得できない様子で、顔をふせました。 「・・・あなたに私を抱かせたら、体だけの付き合いになってしまいそうでこわいの」 このこたえに、男は声をあらげました。 「きみはぼくの愛を信じられないのか?」 女は首をふります。 「・・・いいえ、信じているわ。でも・・・」 二人は再び少し黙りました。 男は、女の言うことを一生懸命考えていましたが、いっこうにはっきりしたこたえにたどり着かないので、不安になってきました。不安は胸を侵食していって、男の自信という餌に食らいつきました。男は急に自分を頼りなく感じ、自分の未来を知らない食用の羊のような目をしている女に、こう言いました。 「・・・別れよう」 女は言葉を失い、口をぱくぱくさせていましたが、やっとのことで声をだすことができました。 「・・・どうして?」 男はあさってのほうを見ながら、さみしそうな表情をしています。 「きみはぼくのそばにいないほうがいいのかもしれない」 それをきいた女は、彼はいつまでたっても体をゆだねてくれない私が、邪魔になったのかもしれないと思いました。それで、こんなふうに言いました。 「やっぱり・・・あなたは私を愛していないのね」 別れを切り出したのが自分なのにもかかわらず、男はかっとして、もう少しで女を怒鳴りつけるところでした。 「ちがう。・・・別れたほうがいい」 けれど最後は落ち着きをとりもどし、冷静に言うことができました。 女はとても不思議そうに問いかけます。 「どうして?」 「ぼくはきみを愛しているから」 男は、なぜぼくの気持ちが分からないんだ、と思いました。しかし疑いを持った女には、言葉の表面しか見えないので、言ったのは次のようなことでした。 「・・・愛していないからそんなことを言うんだわ」 「愛しているから言うんだ。きみに幸せになってほしいから」 それを聞いてやっと男の考えていることが飲み込めた女は、黙りましたが、心の中を素直にうちあけました。 「私はあなたといるときが一番幸せなの。あなたはそうじゃないの?」 男ははっとして、目が覚める心地でした。まったくそうだと思ったからです。まったくそうだ。ぼくは何をひねくれて、望んでもいないことを言ったりしたんだろう? そしてうなずいて言いました。 「もちろんぼくもそうだ」 女は男が素直になってくれたのにほっとして、彼を安心させるために、さらに続けました。 「私はあなたを愛しているわ」 男は胸が熱くなって、こう応じました。 「ぼくもきみを愛している」 二人はかけよって強く抱き合いました。今までの押し問答なんて、なかったみたいです。 女は愛する男の腕の中にいるのに、みけんに切なげにしわをよせて、言いました。 「苦しいわ」 男は苦しくはありませんでしたが、女を一人にしたくなかったので、 「苦しいね」 と言いました。女は男が同じ気持ちでいるのに安心して、 「幸せ」 とつぶやきました。これは男もでしたので、今度は正直に、 「幸せだね」 と言いました。 「永遠って存在すると思う?」 女が言いました。 「思わない」 男が言いました。 「私も・・・私たち、ずっと一緒よ」 女は心からそう言いました。 「ああ、ずっと一緒さ」 男も心からそう言いました。 「絶対の真実って信じる?」 女が言いました。 「いいや」 男が言いました。 「私も・・・私は本当にあなたを愛しているわ」 女は心からそう言いました。 「ぼくも本当にきみを愛している」 男も心からそう言いました。 「疑いのない世界なんてあるのかしら?」 女が言いました。 「ないね」 男が言いました。 「そうよね・・・私はあなたの愛を信じているわ」 女は心からそう言いました。 「ぼくもきみの愛を信じている」 男も心からそう言いました。 二人はじっと見つめあいながら、この先何がどうなってもいいと思いました。男も女も、今という泡のような瞬間に酔いしれていたのです。 「愛しているわ」 女はつややかな唇で囁きました。 「愛している」 男は女の肩に優しく手を置きました。 二人はもつれあって倒れこみました。 夜明けです。 二人は大きなソファーに裸で寝転がっていました。 女は昨夜自分が言ったことも忘れて、うっとりと言いました。 「すてきな夜だったわ」 男は女をようやく自分のものにできた気がして、すっかり落ち着いて言いました。 「すてきな夜だった」 二人は窓からもれる朝日を幸せな気分で眺めていました。 外では戦争で兵士としてかりだされることになった少年が、嫌がって泣きじゃくるのも聞き入られずに、むりやりひきずられてゆくところでした。 女はとろんとした目で男に言いました。 「世の中に完全なるものがあると思う?」 男は女の酔ったような目に少し面食らいながら、こたえました。 「いいや」 二人は手をとりあいました。 「これで私たち、完全に愛し合えたわね」 「ああ、愛を全うした」 「愛しているわ」 「愛しているよ」 そのころ、雲の上の上にある天界では、天使と悪魔が二人を見下ろしていました。 悪魔は今のやりとりを全て見てから、とてもむずかしい数式に挑む学者のような顔をして、 「わっかんないなあ!」 と吐き捨てました。 天使もずっと悪魔につきそっていましたので、感想をつつみかくさずのべました。 「言ってることとやってることがバラバラだわ」 悪魔は大きくうなずきました。二匹はしばらく頭を抱え、何か悩んでいるようでしたが、先に悪魔が口を開きました。 「どっちとも嘘だらけじゃないか。そんな相手をなぜ純粋で愛しいと思うんだろう?」 天使は肩をすくめてみせ、こう言いました。 「まったく分からないわ」 天界ですから当然、神さまもいます。 神さまは男女について論じ合う二匹の会話を、少し離れたところから黙って見ていました。 「理解できないな」 と悪魔。 「まったくだわ」 と天使。 「馬鹿馬鹿しい」 最後に悪魔がこう言って、論争は終了しました。 二匹はやり残した仕事を終えに、ぴゅっと飛んでいってしまいました。 残された神さまは、まっしろな椅子に頬杖をつきました。 ため息混じりに、こう言いました。 「そうかなあ・・・わしはいいと思うんだがなあ・・・」 その声は、飛んでいった二匹にも、もちろん下界の男女にも聞こえることはありません。神さまのつぶやきはすうっと空にとけて、消えてしまいました。 あるところに男と女がいました。 空の上には天使と悪魔と、神さまがいました。 これはそんな生き物たちのお話です。 戻る |