小さな白い花



宇宙のかたすみに、小さな小さな星がありました。
星には女の人と、ロボットが住んでいました。

ロボットは、女の人の作品でした。
この女の人はとても頭がいいのです。

女の人は、長い髪を一本に結っていました。あちらこちら汚れていますが、着心地のよい白衣を、いつも着ています。
ロボットは、風邪薬のカプセルを、半分にわったような形をしています。目の横に、ランプがひとつ、ついています。

このロボットには、感情をつかさどる装置がありました。
女の人がつけたのです。
装置は、とても複雑な構造をしていました。
どれくらい複雑かというと、頭のいい女の人でも、設計図を見なければつくれないぐらいです。

女の人は、星の環境をよりよいものにするための研究をしていました。
この女の人はとても頭がいいのです。
ロボットは、女の人の助手として働いていました。

星の土はどこもやせていて、植物がよく育ちませんでした。
女の人とロボットは、研究材料の土を採取するため、旅にでかけました。
長い道のりになりそうです。
朝と昼は、とにかく歩きました。
時折休憩をはさみ、食事をとり、土を採取しました。
夜はテントをはって、寝袋をしき、その中に丸まって寝ました。



緑色の石がごつごつした荒野で、野宿をするときのことでした。

寝袋を準備し終わると、女の人はロボットに言いました。
「さあ、寝ましょう」
しかしロボットは首をふって、こう言いました。
「いいえ、ぼくはおきています」
「なぜ? 疲れたでしょう」
ロボットは笑っているしるしに、目の横についているランプをチカチカさせました。
「まだ、平気です。それに、夜は何かと危険です。みはっています」
女の人も笑いました。
「そう。優しいのね」
「心配なのです」
ロボットには、感情がありました。

「でも、あなただけにさせておくのは、不公平だわ。夜が半分すぎたら、わたしがかわる。起きないようだったら、起こしてね」

ロボットはうなずきました。

「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

女の人は手をふって、テントの中にひっこみました。

ロボットは地面にぺたりと座って、あたりを見回しました。今のところ、危険はないようです。
あらかじめ用意しておいたランタンに、マッチをすって、火をともしました。ロボットのまわりが、ぼうっと明るくなります。

夜はふけてゆきます。
しずかです。

あたたかいランタンの明かりをみつめながら、ロボットは、闇が濃くなってゆくのを見ていました。
ずっと見ていました。



「なぜ起こしてくれなかったの?」

朝になってから、女の人は言いました。腰に両手をあてていて、不満であることがわかります。

「忘れていたのです」

ロボットは言いました。ランプがチカチカしました。笑っているのです。
その無垢なしぐさに、女の人はしかたがないなと笑いました。

「・・・そう。明日は、ちゃんと起こしてね。おわびに、朝ごはんはわたしが・・・」
「もうつくってしまいました」

そこには、おいしそうなベーコントーストが二枚、お皿に用意してありました。できたてのようで、湯気がたっています。ピンク色のベーコンは、ほどよく焦げ目がついていて、見るからに食欲をそそります。
女の人はしかたがないなと笑いました。

「ごめんなさいね。ありがとう」
「いいえ。めしあがれ」

女の人は食べました。サクリという音がしました。
「・・・おいしいわ」

ロボットはランプをチカチカさせました。笑っているのです。



荒野をこして、枯れ草ばかりの野原、泥だらけの沼地。
それぞれの場所で土を採取しながら、二人は歩いてゆきました。
そうしてたくさん歩いていると、夜がきました。
どこを見渡しても、乾いた黄色い土におおわれている平野に、二人はテントをはりました。

「今日こそは起こしてね」
「はい」

女の人がテントにひっこんでしまうと、ロボットはマッチをすって、ランタンに火をともしました。
きいろい光が、ロボットの鉄の肌をてらします。
ロボットはあたたかいとは思いませんでした。
ロボットには触覚がなかったのです。

ロボットをつくっていたとき、女の人は急いでいました。はやく助手がほしかったのです。
しかし、作業の途中に、女の人は感情をつかさどる装置の構造をひらめいてしまいました。
材料を集めに出る余裕はありませんでした。
そこで女の人は、本来触覚にするはずだった材料で、装置を作ることにしたのです。
ですから、ロボットには触覚がありませんでした。

しかしロボットはこの光が好きでした。感情はありましたから。
夜はふけてゆきました。

朝日に、黄色の土がかがやいています。
遠くの岩がまっくろで、大きな生き物みたいです。
きもちのいい朝なのに、女の人は怒っています。

「どうして起こしてくれなかったの?」

ロボットは平然と言いました。

「忘れていたのです」
「まさか。あなたはそこまでうっかりものではないはずよ」
「本当なのです」

女の人は、ここでロボットを責めるのもお門違いだと思い、やめました。ロボットはなんだか満足そうです。

「・・・・そう。今日こそはわたしが作るわ」
「はい」

満足そうなロボットを尻目に、女の人は、パンを切り、バターをぬりました。たまごをきざみ、マヨネーズとまぜました。それをパンにはさんで、たまごのサンドイッチをつくりました。
ロボットはぱくりと食べました。ランプをチカチカさせました。



そうして旅は続きました。
毎晩、ロボットはみはりを申し出ました。
しかし、女の人が起きるのは、いつも朝でした。ロボットは一晩中、一人でみはりをしているようです。
幾夜もこんなことが続くので、ある日の夜、女の人は言いました。

「あなたが、毎晩みはりを申し出てくれるのは、ありがたく思っているわ。でも、わたし、こういうのはいやなの。
わたしを思いやって、あなたがその分だけあぶない目にあうのは、いやなの。
わたし、あなたに朝食をつくるのを、とても楽しみにしているのよ。
みはりもそれと同じことなの。
だから、今日からはちゃんと起こして、わたしにもみはりをさせてちょうだい」

ここは、湖のほとりです。コケの水っぽいにおいがたちこめています。空には青い星がのぼっていて、湖の表面に、光をなげかけています。
どこかでかぼそく、川の流れる音がきこえます。

ロボットはランプから、星の光のような青い光を出しました。
反省しているのです。

「わかりました。今日からはあなたを起こします」
「ありがとう。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

ロボットはお気に入りのランタンと一緒に、夜をながめていましたが、半分すぎたところで、立ち上がりました。
そうっと、テントの入り口に頭をつっ込みます。
女の人を起こすのです。

女の人が、寝袋にくるまって寝ています。
とてもきもちよさそうです。
ロボットは寝顔をしばらく見つめました。

「交代の時間ですよ」

何度か声をかけましたが、女の人はおきません。
湖が、ちゃぷちゃぷと波をたてました。

ロボットは女の人の腕をつかんで、ゆさゆさゆすりました。
女の人はようやく、閉じていたまぶたを開けました。

「・・・・あら、ごめんなさい。ぐっすり眠っていたわ」
「交代の時間です」
「おこしてくれたのね。ありがとう」

ロボットはランプをチカチカさせました。笑っているのです。

女の人は大きくのびをして、寝袋から出ました。目をこすっています。
ですが、心配そうなロボットに、にっこり笑って言いました。

「あとはわたしにまかせて、ゆっくり寝てね」
「はい。・・・・・あの」
「なあに?」

ロボットはこぶしを、力強くふりました。
「大きなけものがやってきたら、起こしてください。おいはらいます」

女の人はもう一度、にっこり笑いました。
「ありがとう。・・・おやすみなさい」

「おやすみなさい」



ロボットは、女の人の言いつけをしっかり守りました。
女の人は、毎晩起こされるようになりました。
ロボットは、毎晩起こすようになりました。

ロボットは、女の人を起こすとき、寝顔を見つめるのが習慣になりました。
女の人はそれに気がついていました。

土の採集は順調でした。二人は、ずいぶん遠いところまできていました。
二人は疲れていましたが、毎晩十分な睡眠をとれるので、翌日は元気に歩くことができました。

しかし、ロボットは、日増しに元気がなくなってゆきました。
足取りが重くなりはじめ、ため息の数が多くなりました。
十分な睡眠はとれているはずです。

女の人はそれに気がついていました。
ですが何も言いませんでした。
嫌な予感がしたのです。



茶色い奇妙な形の実をつけた、細い木がまばらに生えている、広い荒野でした。木と土と空以外、何もありません。

たちどまったロボットは、唐突に言ったのです。

「押してくださいませんか」
「え?」
「このボタンを押してほしいのです」

ロボットには、一つだけ、押してはいけないボタンがありました。
それは、感情を消してしまうボタンです。
一度押したら、それきり、感情がなくなってしまうのです。

「・・・・なぜ?」

女の人は立ち止まり、ききました。
木がからからと、葉のない枝をふるわせています。
ロボットは青いランプをともしながら、言いました。

「苦しいのです」
「・・・・」

旅の折り返し地点でのことでした。

「どうしたの? 悩みがあるのなら、聞くわ」
「言えないのです」
「なぜ?」
「言えません」

空には雲ひとつありません。ですが二人の目には、風景が暗く見えました。
女の人は、さらにききました。

「土のこと?」
「いいえ」

「帰りの旅のこと?」
「いいえ」

ロボットはうつむいたまま首をふります。
ですが、女の人が次の言葉をなげかけると、ロボットは黙ってしまいました。

「わたしのこと?」
「・・・・」

「そうなのね?」
「・・・・」

女の人はロボットの手をつかみました。
ロボットは青色のランプを点滅させました。
悲しんでいるのです。

「言って。わたしのどこが悪かったの?」
ですがロボットはまた首をふります。
「あなたは悪くありません」
「でも、わたしのことで悩んでいるのでしょう?」
「・・・・」

「わたしの性格のこと?」
「あなたは悪くありません」

「夜のみはりのこと?」
ロボットは強い口調でいいました。
「・・・ちがいます。あの時間を、ぼくはとても楽しみにしているのです。待ち遠しいくらいなのです」

空気がどんどん重くなります。

「・・・・・じゃあ、何なの?」
ロボットはうつむいていましたが、はっきりと首をふりました。
「・・・・言えません」
女の人は眉根をよせて、ロボットの手をはなしました。
「そう。じゃあ、無理にとは言わないわ。
・・・・でも、気が向いたら伝えてほしいの。嫌なところがあるのなら、なおすわ」

ですがロボットはくりかえすばかりです。

「・・・・ボタンを押してください。ぼくの腕では届きません」
「・・・・わたしのことがそんなに嫌いなの?」
「違います。あなたは悪くないのです」

ロボットは青色のランプを点滅させました。
悲しんでいるのです。

「違います」

女の人とロボットは、しばらくたたずんでいました。
ここには、木と土と空以外、何もありません。

重苦しい空気の中、二人はやがて、ゆっくりと歩き出しました。
女の人はロボットのほうを、きびしい顔でふりむいて、まっすぐに手をのばしました。

「リュックをかして。わたしが背負うわ」
「いいえ、もう少しぼくが」
ロボットが遠慮がちに言います。女の人はこうこたえました。
「不公平なのは嫌なの」
「・・・・わかりました」
ロボットはリュックをさしだしました。
風が冷たいところです。



ロボットは毎日、ボタンを押してくれるよう、せがむようになりました。
女の人が理由をたずねても、「言えません」をくりかえすばかりで、こたえてくれないのです。

ロボットは、ランプをチカチカさせなくなりました。
チカチカするのは、青いランプだけなのです。

女の人もしだいに笑わなくなりました。
旅の間も、無言で歩くようになりました。
交代の時間も、声をかけあわなくなりました。

ですが、ロボットは、女の人の顔を見つめるのだけはやめませんでした。
女の人はそれに気がついていました。



砂漠でした。
地平線まで、金色です。
砂がさらさらと風にはこばれて、遠いどこかを目指そうとしています。

二人は無言で歩いていました。
足跡がてんてんとついてゆきます。
風の音にまじって、ロボットはつぶやきました。

「ボタンをおしてください」

女の人は理由をたずねませんでした。
ロボットがこたえてくれないのをわかっていたからです。

二人は長い道のりを歩いてきました。
土を採集しおわって、研究所をめざしているところでした。

砂丘のすみっこに、花が一輪、咲いていました。
ちいさくて、すぐ枯れてしまいそうな、白い花でした。

「・・・ボタンをおしてください」

沈黙の間に、ロボットはもう一度いいました。
青いランプを点滅させながら。
ロボットは笑わなくなりました。ランプをチカチカさせなくなったのです。

女の人は無表情で、しかし早足で進んでいましたが、突然立ち止まって、ふりかえりました。足元の砂が舞いました。
ロボットの顔をみて言いました。

「・・・そんなに苦しいの?」

ロボットはうつむきました。女の人の目を見れなかったのです。
ですが、ついに、小さな声で言いました。

「はい」

二人の間を風が走ってゆきます。
ロボットは青いランプをともしたまま、つぶやきました。

「夜、みはりをしていると、消えてしまいたいと思うのです」

一輪の花が、見当たりません。
風ではこばれてきた砂に、うもれてしまったのです。

「こころの底から、灰色のあぶくがたちのぼってきて、ぼくをつきうごかすのです」

二人はうつむいていました。
しずかです。
風の音すらきこえません。
二人の耳には。

耳がしずけさにたえかねて、耳鳴りがし始めたころ、女の人が言いました。

「・・・・わかったわ」

ロボットの青いランプが消えました。
ですが女の人は、くちびるを噛んでいます。

「もう一度聞くわ。・・・これを押したらあなたの感情はきえてしまうのよ」
「はい」

「もう二度とうれしいとか、楽しいとか、思えないのよ」
「わかっています」

「それでもいいの?」

ロボットは女の人の目をしっかりと見て、こたえました。

「はい」

女の人は黙っていました。
ですが、やがてゆっくりと歩き出しました。
二人の距離がちぢまってゆきます。

女の人は、ロボットとむかいあうと、ためらいながら手をのばしました。
ロボットのランプが久しぶりに、チカチカと光っています。
女の人はそれを見ているとたまらなく切なくなりました。



女の人は、ロボットの胸の部分についている、四角い扉を開けました。
そこには、大きくて丸いボタンがひとつ、ついていました。
女の人が万が一のときに、自分でとりつけたボタンです。
女の人は、なぜこんなものをつけたのだろうと思いました。

ロボットの足元の砂が、さらさらと流れてゆきます。
大きな大きな川の中にいるようです。
女の人の動きも遅いですが、動いている限り、ロボットに近づかないわけにはいきません。

女の人のふるえる指が、ボタンにふれました。
カチリと小さな音がしました。

ロボットは一瞬、静止しました。
ランプのチカチカも、ぷっつり消えました。

女の人は、呼吸があらくなっているのに気がつきましたが、きこえないふりをしました。

「・・・・行きましょう」

女の人はロボットに呼びかけました。
ロボットはランプをチカチカさせるでもなく、うなずくでもなく、無機質なしぐさでついてきました。

ロボットのこころは、消えてしまったのです。



生活は何一つかわりませんでした。
夜のみはりも。朝のごはんも。
ロボットが消えてしまったわけではないのですから、当たり前です。

ですが何かが足りないのです。
ロボットはランプをチカチカさせなくなりました。
女の人のサンドイッチをほおばっても、笑ってくれなくなりました。
女の人の寝顔を見つめることもなくなりました。
青いランプを点滅させることも、けわしい道で励ましあうこともなくなりました。

ロボットは、ただついてくるだけでした。
返事をするだけでした。

女の人は、ときおりロボットに笑いかけて、はっとすることがありました。
ロボットが、ただのロボットになったのを、忘れてしまうのです。



しかし、人間は慣れるものです。
研究所につくころには、女の人は、ただのロボットに慣れてきていました。
二人は黙ったまま、荷物をかたづけて、たまった埃の掃除をし、土をならべました。
そして黙ったまま研究を開始しました。

研究は順調に進みました。
女の人は長い年月をかけて、着実に、土を肥沃にする方法を開発してゆきました。
この女の人はとても頭がいいのです。
ロボットはよく働きました。指示どおりてきぱきと仕事をしました。

ですが、ランプをチカチカさせることはありませんでした。
お気に入りのランタンのことも、忘れてしまったようでした。



数年たったある日のことです。
女の人は研究を完成させました。
星の大地の大部分を、ゆたかな土にかえることに成功したのです。
変化はたいへんなものでした。
さまざまな生き物がさかえ、湧き水があふれだし、木々がおいしげるようになりました。
女の人の研究所は、めいいっぱい伸びた枝がつくるこもれびに、おおわれるようになりました。
もちろん小鳥や、動物の鳴き声もたえません。

女の人は、お気に入りの椅子にすわって紅茶をのんでいました。
ロボットが、おぼんをもってやってきました。

「おかわりを持ってきました」
「ありがとう。・・・あなたもいかが?」
「けっこうです」
「そう。いれてくれる?」
「はい」

ロボットはお茶をそそぎました。
湯気が立ち上ってゆきます。
二人はしばらく黙っていました。
女の人が口をひらきました。

「見て。この、すてきな森を」
女の人は窓を指差して、笑いました。
「数年前にはしんじられない光景だわ」
「ええ」
ロボットは無機質な声で返事をしました。

「・・・覚えている? 土を採取しに、旅をしたときのこと」
「覚えています」
「最初のころあなたは、夜のみはりをなかなかわたしにさせてくれなくて」

女の人は紅茶に目をおとしました。ほほえんでいます。

「不満だったわ。
・・・でも、同時にとてもうれしかった。
あなたがわたしを守ろうとしてくれているのがわかって、うれしかったの」
「・・・・」

「それと、あなたのつくってくれたベーコントースト。美味しかったなあ。
今のが不味いってわけじゃあないのよ。でも、なぜか美味しかった」
「・・・・」

「・・・・あと、夜のみはりのときつかっていたランタン。
わたし、あのランタンが好きだった。
きいろくて、やさしくて、ほっとする光で。
みはりをしていると、ふと、さみしくなるのよね。あなたがテントで眠っていると分かっているのに、それを意識するとなぜか、余計さみしくなるの。
でも、ランタンの光を見ていると、安心してね・・・」

女の人はしばらく紅茶をみつめていましたが、はっと顔をあげると、言いました。
「こんな昔のこと。どうでもいいわね。・・・研究をおえて、気が抜けているのかしら」
女の人は紅茶をのみほして、ロボットにカップをわたしました。
「ごめんなさいね。片付けてきてくれる?」

ロボットは黙って立っていました。
女の人は不思議に思いました。
ここ数年ではじめて、ロボットが、言いつけにそむいたからです。

「ランタン」

ロボットはつぶやきました。

「・・・・今、何て?」
「ランタン」

女の人はおどろきました。
ロボットが自分から話し出すことは、ほとんどなかったのです。

ロボットは、ここ数年のせきがきれたようになめらかに、しかしたんたんと、話し出しました。



「・・・・ぼくもあの光が好きでした」
「・・・・そう。そうだったの? ちっとも知らなかったわ」
「あれを見ていると、ほっとしたのです。あなたと同じで」
「・・・・」

女の人は、自分がとても動揺していることに気がつきました。

「あのころのぼくは、毎日が楽しくてしかたがありませんでした。あなたのお手伝いをするのも、知らない場所を旅するのも。
あのころのぼくには感情がありましたから」
「・・・・そうだったわね」
「ええ」

ロボットは黙りました。
思い出しているのです。

「いろいろな場所を旅しました。
感動しました。
土はやせていましたが、どこも美しかった。
あなたがそういう場所に立っているのを見ると、もっと幸せでした」
「・・・・・・・」

「料理はそれほど好きではありませんでしたが、あなたに食事をつくるのが好きでした。
あなたはぼくの料理を必ずおいしいと言って笑ってくれました」
「・・・・・・・」

「夜のみはりのことはよく覚えています。ぼくはあの時間を楽しみにしていました。
眠っているあなたの顔をいつまでも眺めていられるからです」
「・・・・・・」



こもれびが揺れています。



「ぼくはあなたを起こそうとします。しかしあなたは起きません。いつも起きません。
ぐっすり眠っているのです。
ぼくは起こすのはかわいそうだと思います。
こんなに気持ちよさそうに眠っている人を起こすのはかわいそうだと思います。
しかしあなたはぼくにこう言いました。
不公平なのは嫌なの、と。
だからぼくはがまんするのです。あなたの眠りを中断してしまうのをがまんするのです。
そうしないとあなたは笑ってくれないからです」

「・・・・・・」

「あなたを起こそうとして腕にふれると、感触がないのです。
あなたはぼくに触覚を作らなかった。ですからそれは当前のことなのです。
しかしいつからかぼくはそれが、苦しくてたまらなくなってしまったのです」

「・・・・触覚がないことに?」

「違います。あなたに触れられないことがです」

二人は黙りました。
女の人はロボットが何を言いたいのか、気がついていました。
ずっと前から。
気がつかないふりをしていたのです。
女の人はとても頭がいいからです。



「ぼくはあなたが好きだったのです」



こもれびが揺れています。
女の人のこころも揺れていました。
なつかしさ。悲しさ。当惑。
罪悪感。
うれしさ。

「ぼくはあなたが好きでした。毎日が幸せでした。あなたと一緒にいられたからです」

女の人はくちびるをかんでいました。
ボタンをおしたあのときのように。

「あなたはぼくを必要としてくれました。ぼくは応じることができました。
それだけでいいはずだったのです。
ですがみはりをしてからというもの、ぼくはあなたに触れたいと思ってしまった。
あなたの腕の感触を知りたいと思ってしまった」

からっぽのロボットの声に、女の人は声をあらげて言いました。

「それなら。なぜ触覚をつけるように言ってくれなかったの?」

ロボットは黙りました。

「あなたに幸せになってほしかったのです。
ぼくはロボットです。人間ではない。
あなたは、人間の男の人に愛されるべきなのです。
ボタンもない。感情もちゃんとある。
あなたに触れることができる人間に。
そして二人で新しい命をはぐくんでゆくべきなのです」



二人は黙りました。
長い沈黙でした。

砂漠と同じでしずかですが、ここには一輪の花はありません。
あるのは、大きな木々たちと、動物たちと、女の人とロボットです。



女の人はぽろぽろと涙をこぼしました。
涙はひざの上に落ちてこわれてしまいます。
女の人は顔をおおいました。
こもれびが揺れています。

「・・・・幸せだったわ」

ロボットはおぼんを持ったままたたずんでいます。
ロボットにこころはありません。
消えてしまったのです。

「わたしも幸せだった。あなたといる時間が好きだった。
あなたのランプがともる瞬間が好きだった」

ボタンを押すとき、女の人の指はふるえていました。
小さな白い花をうもれさせたのは自分だと思いました。

花の命をうみ、そして殺した大地。
ロボットの命をうみ、そして殺したのは女の人でした。

「わたしもあなたが好きだった」

紅茶はもう、とっくに冷め切っています。



女の人はおもむろに、顔をおおっていた手をはなし、椅子をけって立ち上がりました。きりりとした表情で、研究室のほうを向いています。
女の人はつぶやきました。
「・・・・設計図」

ロボットは、足をはやめる女の人の後姿に問いかけました。
「何をするのですか」

女の人は息せき切ってこたえます。

「設計図よ。あなたの感情の装置をもう一度つくりなおすの」

しかしロボットは、こう言いました。

「それはできません」
「・・・・なぜ?」

「ぼくが燃やしてしまいました」

女の人はゆっくりとふりかえりました。
ロボットが逆光で黒い影になっています。

「あなたに幸せになってほしかったのです」

女の人は呆然と、あさっての方向を向いていました。
ロボットは身動きもせず立っています。

女の人は体の力がぬけて、ぺたんと膝をつきました。
ロボットはおぼんを持ってやってきて、女の人を見下ろしました。

ロボットは言いました。

「ですが、ぼくはもう、何も分からないのです。
楽しいということも。苦しいということも。
あなたが好きだという気持ちも、何も」

女の人は言いました。

「・・・・でも、わたし、こういうのはいやなの。
わたしを思いやって、あなたがその分だけ嫌な目にあうのは、いやなの・・・・」

ロボットの目の横がちらりと光りました。
ランプが一度だけともったのです。

「変わってないですね」

女の人はロボットを見上げました。
ロボットが笑ったような気がしたからです。

しかし、そこにはここ数年と同じロボットがいるだけでした。
鉄の肌に光を反射させながら、冷たくたたずんでいます。
それは、すわりこんだ女の人に手をさしのべることもなく、

「片付けてきます」

と感情のない声でつげると、おぼんを持って、隣の部屋に消えてゆきました。
こもれびが揺れています。



砂漠です。
面積はずいぶん小さくなっていますが、砂漠は消えずに残っていました。
地平線には森が見えます。
もうあのころとはちがうのです。

砂の間に、小さな白い花が咲いていました。
そっとよりそいながら、二輪。
風が泣きながらやってきて、砂丘をくずしたので、花はうもれてしまいました。

やがて、夜がきます。




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