きみが世界をえがくとき
絵を描くのが好きなぼくはしらないひとと住んでた。 なんかしらないけどいつのまにかそこにいた人の名前はキトといった。 キトはぼくの絵をみてにこにこと笑った。 彼の存在は不思議だったけれど、ぼくは絵をかけるということだけで幸せだったので、居座るキトをうけいれた。 ある日キトはいった。 「ぼくもえを描きたい」 じゃあかけばいいよとぼくは紙とペンをわたした。 キトは首を横にふって、ちがうよ、とくちびるをとがらせた。 「ぼくはきみみたいなえを描きたいんだ。ぼくがかきたいのはぼくの絵じゃない」 その日からキトは、絵を描くぼくのまわりにつきまとうようになった。 「描きかたをおしえて。きみの描きかたを」 「わからないよ。いつのまにか描いてたんだもの。絵をイメージしてるときのぼくは熟睡してるときのぼくといっしょなんだ」 「それじゃ“熟睡”のしかたをおしえて」 「そういうイメージはどこからわいてくるの?」 「うん、ふとした音をきいたときにみえるいろたちだよ。きみにはみえないの?」 キトは首をかしげる。 まっしろな紙とむきあっていたキトはとつぜん激昂して鉛筆を折った。 「どうしたの?」 「なんに見えないしかけないんだもの」 「そりゃそうさ。きみはぼくじゃない。きみがぼくの絵をかくことは一生ないといっていいだろう」 涙ぐんだ彼はくちびるを噛んでぼくをにらみつけた。 どうやらひどく傷けてしまったらしいんだ。 キトは毎日まっしろな紙とにらめっこしていた。 耳をふさいで。鉛筆を何本を折ってぼろぼろにして。 ぼくは絵筆をおいた。キトは言い続けた。 「ぼくはきみみたいなえを描きたい。きみが見る色のすべてがほしい」 むりなはなしだった。 できるわけがない。 考えかたや感じかたがまったく同じ人間なんて存在しうるはずがないもの。 ぼくが見る色や形たちは、ぼくの感受性をとおして成るものだということを、ぼくは知っていた。 ぼくの絵を描くということは、「ぼくの感受性」をまるっきり持っていないことには、むりなはなしだった。 目をまっかにするキトに何度もそのはなしをした。 「ほら、キト・・・・。 ぼくの絵は、砂をふるいにかけてこまかくするのとおんなじようにしてできあがるんだよ。 音や記憶を、ぼくの感情というふるいにかけておとすんだ。 そしてでてきたきれいな砂が、ぼくが“見て”いる形や色たちなんだよ。 キトもそうしてごらん。 キトのふるいの目は、ぼくとふるいと粗さがちがうだろうね。 けどその粗さからしかうまれない形や色があるんだよ。 それはかならずある。 そしてそれはぼくが“見る”ものより余程、美しくて優しいものかもしれない」 キトはぼくのはなしを黙ってきいていた。 何回か折れた鉛筆をなげられて退散したけど、ぼくはわかってた。 キトならいつかできるって。 こんなに描きたい、彩りたいって思ってるひとが、休みなしに語りかけてくる音や記憶に背をむけ続けるなんてこと、できるわけがないんだ。 だって彼はもう感じてるはずだもの。 むずがゆい右手の誘惑と共に、「キトの色」たちが愛おしい音をたてて体の中を動きまわってるのを。 天気のいい日も雨の日も、キトは怒っていた。 ぼくの絵が描けないっていってペンを投げた。 悲しかったけど、相手のくるしそうな顔をみるたびに怒鳴る気がうせるんだった。 ほら、キト・・・・。 今日だってこんなに木々が鳴っている。 キトは一日中部屋にこもった。 さすがに心配してとびらをひらくと、机にすわったキトの背中がびくりとするのがわかった。 「はいるよ」 そう言って、ちょっと間をおいてからとびらをしめた。 キトはぼくの顔をじっとみていた。 いつもどおりの、泣きかけみたいな表情で。 「お腹すいただろう。なにも食べないんだもの」 「・・・・」 「ごはんあるよ」 キトは何度も首をふった。 絵を描きたいって言い出したあの日みたいに。ちがうよって。 窓の外は濃い紺で、空気はいい具合にしめってる。 「描いちゃった」 だからキトの声はよくひびいた。 「え?」 「描いちゃったんだぼく」 彼はペンを投げる。 ペンはかたい床の上で何度かはずむ。 ぼくはキトがいいたいことばを理解して、すこしだけふるえた。 そしてわらった。 やっぱりかけるじゃないか! 「よかったじゃないか!」 「よくないよ、ぜんぜんよくない」 「どうして? 見せてよ」 キトは絵の上にかがみこんでかくそうとしたけどぼくのほうがはやかった。 キトが毎日むかっていた紙は古ぼけて茶色くなっていたけど、そのなかに引かれた線たちは、雲からまっすぐに落ちてくる雨粒みたいに鋭くてまよいのないものたちだった。 ぼくは口をぽかんとあけて見とれた。 なんて、なんてきれいだ! キト、きみはすごいものを見ていたんだね! 当の本人はむくれて下をむいている。 この絵の、いったいなにが気に入らないんだろう。 「・・・・ぼくはもうだめだ」 「だからどうしてさ。すごいよ、この絵」 「だってぼくがぼくの絵のかきかたを覚えてしまったら、きみが“見る”ものたちをえがくことは、この先ないんだもの」 「まだそんなこと気にしてたのか」 「そんなことじゃない。ぼくにとっては重要なことなんだよ」 一陣の風がまいこんで、それはぼくのきもちをおだやかにさせた。 「・・・・キト。よくきいて」 「・・・・・」 「本当はもうわかっていることなんだろ」 耳をふさがないで。 きみがみるあらゆるものたちを拒否してないで。 自分の感受性が“見る”ものたちをあるがままに受け入れて。 『その人』になろうとなんてしないで。 きみはきみの感じかたで、自分がえがくものを見つけるんだよ。 きみがかいた絵をみて! すばらしいよ! これが世界に一枚だけのきみの絵だよ。 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 「じゃあ、もうすこししたらあっちにおいでね。ぼくもお腹がすいたんだ」 キトは体をこわばらせて椅子にすわっていた。 ぼくはとびらをしめた。 キトの右手がうごいた。 部屋につみあげられた何百枚もの紙に、あたらしい色が、形が、雲の流れのように描かれていった。 キトの過去が、風景が、 海が、山が、木が、鳥が、 人が、ビルが、笑顔が、空が、 宇宙が、原子が、 スーパーノヴァが、 粒子が、 時が、 闇が光が空気が弾けた。 インクが舞って頬についた。 キトは、とじたまぶたの外にあったものたちに触れるのに夢中になっていった。 とびらのむこうでぼくが笑った。 ついに見つけたね、キト。 きみだけの世界を。 戻る |