砂の烙印
気がついたら砂漠でした。 ちょっと離れたところに、枯れ川がありました。 わたしはあたりを見回しました。誰もいません。 わたしはぼうっと空を見てすごしました。 お腹はすきませんでした。 どうやらわたしは、ふつうの人間とは、何かが違うらしいのです。 どれくらいそうしてすごしたでしょう。 長い時間が経ったとき、わたしは、一匹の蛇がこちらを見ているのに気がつきました。緑色のうろこをもった、どこにでもいる蛇でした。 蛇は赤い舌をちろちろと出して、悲しげに言いました。 「ああ、お腹がすいた。もう歩けない。 きいておくれよ。そこにいる旅人は、自分の食べ物がなくなるからと、おいらにお恵みをくださらなかった。おいらは、飢え死にしそうだというのに! あんた、旅人は、非情ですねえ。ああ、ああ・・・・」 蛇はぐったりとして動かなくなりました。 わたしは、旅人がとった行動は、非情とはすこしちがう気がしましたが、蛇にも同情していました。 しかしわたしには食べ物がありませんでした。なのでこういいました。 「かわいそうな、蛇さん。わたしの右手をお食べなさい」 そのとたん、蛇は、まっつぐにわたしの腕にくらいつきました。 わたしの腕は根元からちぎれてしまいました。 すさまじい痛みに、わたしは悲鳴をあげました。 蛇は腕をおいしそうに食べると、口のまわりをぺろぺろとなめながら、 「ありがとよ。助かった」 と、さっきよりずいぶんぞんざいな口調で言いました。 「ああ、よかった。 ところで蛇さん、わたし、ずっとひとりでここにいるので、さみしいの。 どうか一晩、お相手なさってくださらない?」 わたしが言うと、蛇はこう言いました。 「ふん。きみのさみしさなんぞ、知るもんか。 ぼくはお腹がいっぱいになったから、もう行くよ。 なにしろ、忙しいんでね」 蛇はつんと前をむき、行ってしまいました。 わたしは何だかかなしい気持ちになりましたが、たてなおして、また空を見ることにしました。 長い時間そうしていましたが、ふと気づくと、フェネックギツネがこちらを見ているのに気がつきました。 「あらあら、どうしたの?」 わたしは言いました。フェネックギツネは、泣いていたのです。大きな宝石みたいな瞳をぬらしたその子は、言いました。 「大事な大事な落し物を、なくしてしまったんだ・・・あれは、母さんから死に際にたくされた、唯一の遺品なんだよ。 あれがなきゃ、ぼくは、夢の中ですら母さんに会えなくなっちまうんだ。」 フェネックギツネはおいおいと嘆きました。 わたしはすっかりかわいそうになって、 「そう・・・たいへんだったね。わたしは右手がないけれど、一緒に探してあげましょう」 こう言いました。フェネックギツネはとびあがり、 「ほんとう? ありがとう!」 と言いました。 わたしたちはそこら中の砂をほって歩きました。 それでも、彼の言う遺品とやらは、出てきません。 ようしゃなくお日様は沈んでいって、あたりはすっかり暗くなってしまいました。 フェネックギツネは、最初はいっしょうけんめい探していましたが、見つからないのが腹ただしくなったのか、突然牙をむいて、大声で、どなりました。 「なんだい! おまえは、役立たずだね! こんなに長い時間探しても、ぼくの大事なものをみつけてくれないなんて!」 わたしは、ちょっとふにおちませんでしたが、黙って立っていました。 フェネックギツネはさらにどなりました。 「それもこれも、お前に右手がないからさ! この、ぼんくらめ! ひどいやつだ!」 彼は、ふさふさのしっぽをふりみだして、どこかに駆けていってしまいました。 わたしはぽつんとつぶやきました。 「右手がないのをせめるのなら、あの蛇に言っておくれ」 と。 お星さまがちらちら出て、眠くなってきましたので、わたしは丸くなって眠りました。 またお日さまがのぼってくると、毎日していたように、空を眺めました。 長い間そうしていましたが、ふと気がつくと、ゾウが立っているのに気がつきました。 ゾウはぼんやりと立ちすくんでいます。なにやら、ひどく怒っているようです。 「どうしたのですか」 わたしはきいてみました。 するとゾウは、長い鼻をふらふら振って、低い声で話しはじめました。 「わたしは、長い旅をしてきたのだよ。にんげんたちから、逃げてきたのさ。・・・わたしは、もうすぐ処刑されるところだったんだ」 「まあ・・・・それはまた、なぜです?」 「わたしたちが、凶暴だからだと!」 そこで、ゾウはどしんと足をふみならしました。 振動で、わたしは小さくとびあがりました。 「ちがうのだ! にんげんたちが、わたしたちをおどかすのだ! 銃をぶちかまし、仲間を殺し、象牙をとれるだけとって、にげてゆくにんげん。 わたしたちは、仲間をまもるために、たたかっているだけなのだ! おとなしくして、殺され。抵抗しても、殺され。 ばかな、ばかなにんげんたちよ。わたしは、にんげんが憎くてたまらない!」 どしん、どしん。 ゾウはしばらくそうやって、静かになりました。 わたしはゾウがすっかりかわいそうになって、言いました。 「そんなににんげんが憎いのならば、わたしをふみつぶして、仲間のかたきをとったらいかがでしょう?」 ゾウは、鼻をゆらゆらさせました。 「それは、いい考えだ!」 そして、わたしの体をめちゃめちゃにふみつけました。 あばらが折れて、内臓にささりました。頭蓋骨は、とてもいい音で割れました。 ゾウは軽やかにステップをふみます。まるで、わたしというステージの上で、おどっているみたいです。 ぐちゃ! ぐちゃ! ぐちゃ! 砂は血をふくみ、まっかなだんごになりました。 ゾウはわたしをぺちゃんこにしてしまうと、満足そうに言いました。 「ありがとう。すっきりしたよ」 わたしは、つぶれてしまった喉で言いました。 「よかったです。これで、もうにんげんを殺したり、なさいませんよね?」 しかし、冷たい声が言いました。 「それはどうかな。」 どしん、どしん。足音が遠ざかっていきます。 「・・・しかしね。あんたは、仲間を殺したにんげんと同じだったけれど、右手がないのは、あわれだと思ったよ」 わたしは、黙っていました。 そしてほろりと泣きました。 体がこなごななので、もう空は見れませんでした。 死体となったわたしの上を、お星さまが照らしていました。 出ない声で、わたしはつぶやきました。 「お星さま・・・わたしのまえに・・・たくさんのいきものがやってきたわ・・・ わたしはいきものに・・・肉をあたえ・・・労力をあたえ・・・慈悲をあたえた・・・ だけど誰もわたしに・・・何かをあたえてはくれないのよ・・・ 誰かは・・・差し出されたものを、うけとれるだけうけとって・・・通り過ぎてゆくだけ・・・」 お星さまは黙っていました。 「お星さまも、わたしに、何もあたえてくれないのですね・・・」 夜は明けていきました。 幾日かそうしていました。 私の体がかわきはじめたころでしょうか。 一人の旅人がやってきて、わたしの体を見下ろしました。 「これは、ひどい・・・・。むざんだな。ハゲタカに食われたのか、それとも・・・・」 わたしは、小さくささやきました。 「ゾウですよ。ゾウがやったのです」 しかし、旅人にその声がきこえるはずはありません。 「おや・・・・右腕もないじゃないか。かわいそうに・・・」 旅人のぬくもりが、右腕があったところにふれたのが、わかりました。 旅人は、わたしの目の前にかがみました。 そのとき、気づいたのです。 旅人の肩の上に、あの蛇がひからびて乗っているのを。 旅人はひからびた蛇に、そっと話しかけました。 「お前も、同じだなあ。 何かに飢えて、おれを食べにしのびこんできたんだから。 お前もこの人も、運がわるかった。 お前はこの間、おれに餌をねだったが、だめだった。最後には、殺された。 この人は、何をしたのだか分からないけれど、何者かに殺された」 わたしは、あたえたのです。 求めていたいきものたちにに。 「この人も、求めていたに違いないよ。生きるための幸福を、探していたんだ」 旅人は言ってから、蛇のなきがらを、わたしの目の前におきました。 そして、わたしの心臓があったところに、手をぎゅっとおしつけて、手形をのこしたのです。 「さようなら」 旅人は足あとを、てんてんを残しながら、行ってしまいました。 わたしはなんだかむしょうに切なくて、心臓のところに押された烙印を、かきむしりたくなりました。 いきものたちは、こんなふうだったのです。 あたえられたものだけでは、満たされないこともあるのです。 わたしは、自分がほしかったものが何なのか、じっと考えてみました。 わたしはやっと気がつきました。 わたしは、あたえたものたちを、幸せにしたかったのだと。 気づいたわたしは、 「蛇さん、蛇さん、」 と、隣のなきがらに呼びかけましたが、死んでしまった蛇さんは、口をぽかんとあけるばかりで、二度と動き出そうとはしないのでした。 わたしは、砂にうもれながら、こう思いました。 あの旅人は今頃きっと、空を見ていることだろう、と。 戻る |