猫的なひと



きみはまるで猫のようだ。
使い古された平凡な比ゆだけど、こう表現しようと思う。
きみはまるで猫のようだ。

容姿の説明はしないでおこう。
そういうのは今回の場合、不必要だから。



きみは突然触れられるのが苦手だ。
触れるよ、と合図を送ってから触れないと、それこそ猫のように細い声をあげて抵抗する。
ぼくがふさけて足をつついたときも、体をよじって抵抗していた。
ありきたりなタイミングで手をつなぐときも。
ふいに頭をなでたりすると、びくっとした。
ぼくの手に怯えているみたいに。
敵意がないって分かっているだろうぼくの手に、きみは毛を逆立てる。

キスは平気だと言った。
ゆっくり移動する頸の動きが見ていられるからだと。
頸の動きは、触れるよ、の合図。



椿の花が好きで、咲くと一日中眺めていた。
座り込んで頬杖をついて。
椿の色味は、きみにとって、またたびみたいなものだったのだろう。
濃い桃色に酔うように、赤い服ばかり着ていた。



酒が嫌いだった。
アルコールの不可抗力。
全身に回ったときのあの、あがらえない力で、壊されてしまう気がする、と言った。
お酒が全部抜けたら、すっからかんになってしまう気がする、と。

猫は水を避ける。
きみの「ビールの瓶」と、猫の「水がいっぱいはられた浴槽」は、イコール。



外でのきみはそっけない。
周りをとりかこむ人の声や、色や、ルールに、気をとられているから。
それは気まぐれとはちょっと違う。
「仕方がない自分勝手さ」だ。

きみは通り過ぎる形のないものに、じゃれつく。
目の色をかえて。
形のないものの一部であるぼくだけど、きみのはしっこをつないでいるモノとして、きみの意識から完全に消えてしまうことはない。
それはちょうど、ねこじゃらしと、ねこじゃらしを操る飼い主の関係に似ている。



家に戻る。
ねこじゃらしから開放されたあとのきみは、ぐったりと疲れ果てている。
甘やかしてほしくて、ぼくの足に体をすりよせて、喉をならす。
つまり、ご機嫌にはなうたを歌う。

自分から甘えるときのきみは、とても積極的だ。
ぼくから触れるときとはちがって、毛を逆立てたりしない。
ぼくに完全に心を許して、無防備になって、くつろいでいる。
自分の欲求がこばまれることは絶対ないのだ、と思っているみたいに。
満ち足りた傲慢さでもって、ぼくに体をすりよせる。

もしここでぼくが、甘えるきみを殴りつけたら、きみはどんな目をするんだろう。
そんなことを時々思う。



きみの言葉は突然とびだす。
危険なところに一度ふみ出すと、止まることができない。
車の前に飛び出してしまった猫のように。
滝のように流れ落ちる言葉は、とりとめもなくきみを傷つけ、追いつめる。

きみはいつも車から逃げそこなう。
何度も轢かれ、その度に自分の死を思い、泣く。
抱き寄せようとするとびくっとして、ぼくの腕に爪をたてる。
こんな時でさえ怯えているきみに、ぼくは、怒りと愛おしさと切なさを感じる。

爪をたてられたぼくの腕は確かに痛む。
そんな自分には、不甲斐なさを感じる。



ひらひらと高いところを歩くきみを、ぼくは追いかける。
それは特別な感情のようで、違う気がする。
ぼくらの間にある感情は、荒れ狂った激情でないし、かといって溢れるほどの愛でもない。
淡々とした親密さだけが、そこにある。

ぼくはきみを飼いならす飼い主で、きみは怯えた猫である。
ぼくは立場上きみを管理して、かわいがり、それらの行為に幸せを感じる。
きみは怯えから開放されてゆく悦びを味わい、それを与える存在であるぼくになつく。

ぼくは、やわらかいきみに触れよう。
何度ひっかかれても。
その度に傷を治して。
きみは、少しづつ、ぼくを知っておくれ。
ぼくの手から餌を食べるようになっておくれ。
何度も泣いて。甘えて。



使い古された平凡な比ゆだけど、こう表現しようと思う。
きみはまるで猫のようだ。

やわらかいきみで満たされている日々は、丸くなり、日なたのような温もりを帯びる。
ぼくはそれでいいと思う。




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