白い路地



1.序幕・白い路地

「寝たくないの」
彼女は言った。
「ずっと起きていたいの」

羊の頭をした女が薬を売っている。
ここは白い路地。
すすけた店が立ち並ぶ横丁だ。
そこら中に黒ずくめの男女が立っている。背は誰も同じくらい。ただし皆動物の顔をかたどった被り物をしているので、年齢が分からない。

「あれは睡眠薬よ」
彼女は羊の顔をした女を指さし、言った。

「なぜ眠りたくないの?」
「だって・・・リセットされてしまうじゃない」
「一日が?」
「そうよ・・・また最初からやり直しよ。いくら苦しんで、一日をいいものにしようとしたって、眠りに落ちて朝が来れば始めからやり直し、やり直し、やり直し・・・。うんざりだわ」
彼女は頭を振った。おかっぱがふるふると揺れた。



以下、断片。



2.

眼鏡をかけた少年が白い椅子に座っている。
苔むした廃墟に一人。
どこからかセミの声がする。割れた天井から行く筋もの光が降り注いでいる。

蒸し暑いのに少年は正装である。
くすんだシャツに黒いベストを着て。
半ズボンから出た膝小僧が乾燥して土気色だ。

少年は箱を持っている。紙で作られた、壊れやすそうな箱だ。
「完成しない」
ぽつんと呟いた。
「いくら手で触れても、この箱の中身は完成しないよ。ぼくはずっと完成を目指していたのだけど・・・・無理だって知ったんだ。未熟なものにしろ、完璧なものにしろ、これに終わりを望むなんて無理なことだったんだ。
ぼくはそれを知らずに何時間もこれを作り上げてきたんだ・・・何ヶ月も・・・何年も・・・。でも無益な話だったのさ。こいつは完成しないんだから・・・」

ふと、風景が静止する。
蝉時雨である。



3.

ホームで電車を待つ少女。
セーラー服を着て、垢抜けない髪がくしゃくしゃと乱れている。
真赤なスカーフがひるがえる。

ホームには誰もいない。あたりは霧だ。はっきりと見えるのは、少女が立つホーム、さびた椅子、そして渡り廊下へ繋がる階段だけである。

少女はホームと線路の境目ぎりぎりのところに立っている。
もう少しで落ちそうだ。
悲しげな目で前をじっと見つめている。
少女はふいに白く細い足をふみ鳴らし、泣き叫んだ。
「自分のものなんて何一つないんだわ! 評価されてるものなんて何よ! ガラクタじゃないの! 誰が何に価値を見出そうが、それが物であるってことにかわりはないわ!」
「・・・・私の体もモノなんでしょう! 誰かがもてあそぶんでしょう! 幸せを感じなければいけないのでしょう! そして捨てられるんだわ。モノの価値が終わったら私も終わるのよ」

少女の腿をゆっくりと、赤い血がつたう。



4.

延々と続く花壇。等間隔に花が植えられている。
それを一本づつ踏み潰しながら歩く男。
顔は紙袋をかぶっていて見えない。

男は鼻歌を歌いながら花を踏んでゆく。
地平線の向こうに巨大な本が開いている。
大きな音をさせてページがめくられる。
気づかない男。



5.

何重もスカートをはき、もこもこに着膨れた少女がいる。
頭には裂いたスカートの布を巻いている。
こわくてこわくてたまらないのよ・・・・
空白の背景に赤い文字が滲んでくる。
皆が私を見てるのよ・・・おもしろいおもしろいって言って。私自分が誰なのか分からなくなってしまわないように、いろんな服を着たわ。色んな色に髪を染めたわ。だけど皆はそれを笑うの・・・私だっていう証拠を笑うのよ。電車にもバスにもタクシーにも乗れないわ・・・誰もが見てるんだもの。私が変だって。私がおかしいって

足元に脱ぎ散らかしたパンプス。すりへってひびが入っている。
「重たいわ」
少女の声はひび割れていた。



6.

高いビルの屋上。人が行列をつくっている。人は、並んでいる順番で次から次へと飛び降りてゆく。
皆、落ちてゆく途中でふっと消える。



7.

地べたに座り、にょきにょきと生えてくる釘を押し戻している子ども。
片手を頭にやりうつろな表情。
釘を完全に押し戻しても、また別のところから釘が生えてくる。
またそれを押し戻す。

「あれもこれもいけない。これもだめ・・・あれもだめ・・・」
小さな足には枷がはめられている。
「あれもこれも・・・。・・・・・・・。・・・・・・」
子どもは声を出すのを止めた。ひたすら釘を押し戻し続ける。

子どもの尻から液体がにじみ出す。
尿だ。



8.

大きな時計によりかかる中年の男。
くたびれたぶかぶかのコートを着込み、うなだれている。
顔は黒く汚れ、しわがきざまれている。

何年も磨いていないであろう革靴が、紙幣を踏みつけている。
時計は動いていない。
男は身動きしないまま、だんまりとそこに立っている。

時計が一つ音をたててきしんだ。
男は疲れた顔で微笑んだ。



9.

包丁をにぎり台所で料理をする女。
背後で赤ん坊が激しく泣いている。
「待ってね、もうちょっとでできるからね」
そう言いながら手を動かし続けるが、その手元に食材はない。
女はそれに気づいているが、あせるばかりで体が動かない。
笑顔のまま「待ってね」を繰り返している。

赤子は悪鬼になる。
にくしみでいっぱいになり、母を糾弾するように泣き叫ぶ。
女は限界まで腹をすかせた子どもを本気で心配しながら、おろおろし、しかし包丁を手放さない。ふりかえりもしない。
空気はやがて黒く染まる。
赤子は牙をむいた。



10.

坂道をのぼりつづける犬。
上から車がやってくる。このままだとひかれる。
しかし車は半透明で、犬を通り抜け、行ってしまう。

坂道をのぼりつづける。
上から人がやってくる。犬は撫でられるのを期待する。
しかし人は気づかず行ってしまう。

坂道をのぼりつづける。
上から再び車がやってくる。
しかし今度は、犬が半透明になり、車をすりぬけてしまう。
犬は涙をこぼす。



11.

ライオンのようにたてがみを生やした青年。
四つんばいで部屋の中央にいる。
口元にピアスが光っている。
まわりをきょろきょろと見回し、媚びてみせる。

近くでガラスが割れる音。
ケータイ電話のバイブ。
女のあえぎ声。

青年は相変わらずきょろきょろし、媚びて見せているが、手元はようしゃなく爪を立てている。



12.

円形の闇に包まれている男。
涙をだらだらと流しているが無表情。
「悲しくないんだよ。何も。悲しくないんだよ」
そうしながらにこにこ笑ってすらいる。

唐突に意味のないことを喋りだす。楽しそうである。
天井からコーラの空き缶が何個も落ちてくる。
カラン。カラン。カラン。
男は鼻水をすすりながら話し続けている。

一個のコーラの缶が、闇の中に落ちた。途端青年は形相をかえ、すごい剣幕で叫び始めた。
「あああああああ! あああああああああ。ああああああああ・・・・」
闇の中で手をふりまわすが、マントのような暗闇は、彼を離してはくれなかった。



13.

「ビルが倒れこんでくる…」
和服を着た女が、背の高い顔のない男と歩いている。

都市。
みだらな格好をした女が道中にあふれかえっている。おしろいの香りがする。
白いビルは巨大すぎ、上のほうがかすんでいる。

女は頭上のビルの輪郭を指でなぞり、ぽーん、ぽーんとつぶやいている。
「ぽーん・・・・・・・ぽーん・・・・・・・・ぽーん・・・・・・・」
どこかで巨大な音でベルが鳴った。リン、ゴン、リン、ゴン。

うさぎのお面をつけた女が二人の行方をふさぐ。
手には林檎とナイフを持っている。
ポケットから出たのは睡眠薬だ。
和服の女は目を細めた。

ビルの屋上で切り裂くような電子音が聞こえた。
驚いて見上げてみるとスキニージーンズの男がギターをかき鳴らしている。
真赤なアンプ。ストラト。

みだらな格好の女達がいっせいに振り向く。
「お前さんどこの誰かえ」
うなじになめくじが這っている。和服の女の唇がゆがむ。
うさぎのお面の女は林檎をかじり、ナイフをかまえ、言った。
「死にたい? 殺してほしい?」
しん。
「私の言葉は死んでいるのよ。だから答えられない」
和服の女が言うと、みだらな女どもはいっせいにきゃらきゃらと笑った。

あーおかしい、あああー、おかしい。きゃははは。きゃははは、きゃはは・・・・。

リズミカルで凶暴で単調なロックをやつは相変わらず掻き鳴らしています。



―――帰還



0.終幕・白い路地

「・・・・これで終わるのね?」
「そうさ。きみがほしいのはピリオドじゃないのか」
「知らないわ。ただ、終われないってのは分かってるのよ。私自分が何考えてんだか分かんないんだもの。私に欲求なんてものないの」

「ぼく君を好きじゃないし救えないよ」
「別にあなたじゃ嬉しくないからいいわ」
「ぼくは世の中に必要な人間だから、きみみたいな人間をみているとイライラするよ」
「私もあなたが大嫌い」

羊の顔の女が何やら叫んでいる。
「・・・・・いりませんかあ。・・・・・・・・いりませんかあ」

「・・・・なんて言ってるのかしら」
「分からない。聞こえない」
「私、それを欲しいのかしら?」
「ぼくが、君は欲しいんだって言ったら信じるんだね」
「そうね」

「来ない電車。歩けない足。出ない言葉。なんで皆『ない』んだか分かる?
誰も求めていないものだったからよ。そんなもの要らないんだわ。いくら本人がどれか一つを持っていたとしても。いらないのよ。だから『ない』のよ」
「本当は求めてほしいんだわ。いらないものを。狂おしいほど欲してほしいんだわ。だけど無理なのよ。要らないんだから。」
「だから殺すのよ。要らないものは殺すのよ。持っていたら苦しいだけよ。けれど愛しいのよ。殺すと痛いの。要らないものなのに。自分の一部分だって証拠ね」
「要らないものを持っていると、必要なものが持てなくて、要らないものを捨てると、からっぽになってしまう・・・・私、どうすればいいのかしら?」
「私にとっての明日も要らないものなんだわ。私『ない』のね」

「『ある』よ」
「何が?」
「『誰からも求められない理由』があるのさ」
「・・・・・・・」
「ま、いいよ。君とぼくってよく似てる。独りよがりなとこも馬鹿馬鹿しいくらい青いところもね」

ここは白い路地。
つながらない物語を抱えた者たちは、今日も仮面をかぶり、隙間を埋めるためのものを探している。





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