しゅわしゅわ
| 夜になり、さて一杯やろうと冷蔵庫を開けて気づいた。 ビールがない。 そういえば昨日いい気分にまかせて二本開けたんだっけ。 あーあ。 パタンと扉閉める。ふっと鼻先をかすめる嫌な臭いの冷たい風。 お財布持って上着を羽織る。 スーパーは閉まっている時間だ。 徒歩5分のコンビニに買いに行こう。 ここ一年で私は酒を覚え(残念ながらそこにオトコは含まれていない)、 前より少しだけ寛大になり、その分少しだけだらしなくなった。 変な自信もついたかもしれない。 乗れなかった電車にも乗れるようになった。 大きなといえば大きな、小さなといえば小さな変化である。 携帯を手に取る。パチンと開く。 メールも着信もない。 ため息ついて閉じる。分かってますよ。 両方とも、ここ数日ずっとないから。 沈黙を守るケータイをポケットに放り込み、私は家を出る。 何か、いつの間にか、友達から何からとはなればなれになってた。 いや、私が縁を切ったのかもしれない。 靄がかかったみたいでそこんとこよく分からないんだよ。 不思議なことに。 外は曇りだった。 遠くの山のスキー場か何かの明かりを雲がはね返すので、 月が見えないのに辺りは薄明るい。 私をくるむのは、雨降った後によくある、あの生暖かさである。 陸橋に差し掛かる。 細く急な川をまたぐ古い橋。手すりは苔むした石でできている。 まさに叩いたらくずれそうだ。 車もないので、道路の真ん中を堂々と、 そして、くずれないようにそろそろと、渡る。 橋を渡りきってしばらく行くと、交差点に出る。 普段から交通量が少ないそこは、 ある程度夜中になると赤信号がチカチカする。 おれ休むからてめえら自己判断で渡れよ、ってことだ。 案の定チカチカしている信号を意味もなく立ち止まって眺めてみる。 静まり返った交差点、影になりそそりたつ遠くの山、 ぽつんと立った私。 向こうに目をこらす。 誰も来ない。 横断歩道のしましまの上を、ゆっくり歩く。 いつからこんなに歩くのが遅くなったんだろう。 ほんの一年前は、何かにかりたてられるようにせかせかと歩いていたのに。 そういえば、私がのんびりし出したのに反比例するみたいに、 皆は忙しくなっていった。 前はしょっちゅう連絡を取り合っていた友達も、 「今ちょっとアレだから」「バイトあるから」とすぐ電話を切るようになった。 (「オトコと会うから」と言ったやつもいるが、それはもう腹立つんでカット。) 皆は次々と新しい環境にジュンノウしてゆき、 新しいとりまきをの中に馴染んでいった。 私だけ古い円の中に取り残されていた。 私にまだ大きな転機が訪れていないっていうのもあるんだろうけど。 コンビニが見えてきた。 「酒・たばこ」と表記された看板が頭上にぽかんと浮いている。 街頭が少ないこの通りにそれは、まるで洞窟に住む夜光虫の群れだ。 その光の量に圧倒されながら、私は自動ドアをくぐる。 「しゃーせえっ」 バイトくんが微動だにせず言う。 毎度思うが、地底からわき上がってきたあぶくのような挨拶である。 あれ、ぜったい条件反射で言ってるよな、と思いつつ、 私はまっすぐ酒をとり、レジにむかう。 ピッ。「〜円が一点っ」ピッ。「〜円が一点っ」・・・。 バイトくんは手馴れた手つきで、 商品をあのよくわからん機械で読み取っている。 これまた条件反射で読み上げられる金額を聞きながら、 この人、働いてるんだなあ、と思う。 深夜のコンビニ。 なんだか、大人かもー。 あくびしながら入ってくる、たくましいおじさんとすれ違いに、 私は店を出た。 大人になってゆく皆を見て私はあせり、 しても意味ないのに妙にせかせかしたりした。 生い立ちに密かに劣等感を持っていたりしたのが、 尚更せかせかを助長したようだった。 いつだって皆の後姿を追っている気がするんだな。 皆からすればどうなのか知らないけど、私からすればそういう感じ。 私の知らないことをたくさん経験して、 大人の笑みをするようになった友人が、ちょっと羨ましかった。 ちょっとね。あくまでちょっとだから。 む、無理なんてしてませんよ。 陸橋の手すりにおそるおそるもたれながら、私はビールのタブを開けた。 んきゅっ、んきゅっ、ぷはー。 うっめえええええ。 はじめの一口をすする時。 この時ばかりはどうしても、顔がにんまりしてしまう。 こみ上げてくるため息をつきながら、夜の川に視線を落とす。 黒くタールのように見える水は、一見陶器のようにかたく見える。 実際はあっけないくらいさらさらと流れているんだろう。 トントン、私のつま先が地面を蹴る音。 川のさらさらにかき消されてしまう。 金色の液体を食道に流し込みながら、どうしてこんなに人が歩いていないんだろう、と思う。 そうっと辺りをうかがう。 夜の田舎道で辺りをうかがう必要なんてないんだけど、 気分的にうかがってみる。 ふいに、取り残されたような気分になる。 私を映している宇宙のカメラが、思い切り引きになった。 私はどんどん小さくなってゆく。 私が居るこの石橋だけがうっすら明るくて、まわりはまあるく暗いのだ。 そんな感じ。 もしかして暗がりの中に誰か潜んでいるのではないか、そんな気がして、 何か声を出そうとする。 誰かに合図を送ろうとする。 手まで振ろうとしたところで、自分のやってることが急に恥ずかしくなった。 あ、馬鹿みたいだ。やっぱやめた・・・。 私が何をしようが、 皆それぞれの生活の中で、それぞれのすべきことをしているのだ。 何かに負けた気分になり、大人しく背中を丸めて、 まだ冷えているビールをすする。 喉がしゅわしゅわすることを、親しい誰かに話したくなり、 ポケットの携帯に手を伸ばす。 さらさら。 開いてゆく距離を見て、 また皆と比べるとどうしようもない自分を見て、 鳴らない携帯電話を見て、 大人になった友人を見て、 私はますます無口になる。 誰かの新しい暮らしにこちらから干渉するのが何か、浅ましいようで。 切られたとかげの尻尾になった気がして。 劣等感やあせりを隠すために、 自分のこの下らない悩みをビールのぷちぷちと愛想笑いで飲み下し、 できるだけ感情うんぬん話はしないようにして、 ひっそりひっそりその場から居なくなれるように。 泣くときも怒るときも一人でやります。 誰の肩もかりなくたって生きていけるんだから。 皆は何も知らずに、きらきらと笑っていればいい。 バイトの愚痴とかを私に打ち明けてればいい。 くそー。 私は携帯に伸ばしかけていた手を引っ込める。 かわりにビニール袋に、こぼさないようにビールの缶を入れて、 それをかすかに揺らしながら来た道を戻る。 回ってきた酔いが心地いい。 家に帰ったら、好きな音楽を聴きながら続きを飲もう。 車、一台くらい通ればいいのに。 思いっきり冷たい風が吹けばいいのに。 やっぱさ、寂しいよ。別れっていうのは。 いや、やっぱ自分から縁切ってるのかもしんないな。 相変わらず私、被害妄想激しいね。 困ったもんだ。 と、いない誰かに言ってみる、言ってみる。 戻る |